甲冑の変遷と様式



目次

1、短甲(復原)
、赤絲威鎧(複製)
、白革威腹巻
4、紺糸威
5、紺糸威二枚胴具足  
、紺糸威最上胴
7、紺糸威仏胴具足
8、茶糸威亀甲金畳具足
、鉄八枚張冑鉢
10,鉄錆地六十二間小星兜鉢




1、短甲(たんこう)復原
 古墳時代(5世紀後半〜6世紀)の「よろい」で前で引き合わせる形式である。原品は、市原市東間部多1号古墳より出土し市原市埋蔵文化財調査センター蔵。
2、赤絲威鎧(複製)
 源平合戦期(平安末期)の代表的大鎧で十二間片白星兜(かたじろほしかぶと)が付く。畠山重忠が武州御嶽(ぶしゅうみたけ)神社に奉納したと伝えられるもの。現品は国宝で御嶽神社蔵。
3、白革威腹巻
小札(こざね)を鹿の革で威(おど)した腹巻(はらまき)。腹巻は南北朝時代から室町時代に流行した軽武装用の鎧(よろい)で背で合わせる構造である。
4、紺糸威鎧(本小札腹巻
当世具足、復古調の鎧(よろい)。江戸時代に戦いが無くなると鎌倉時代の形式を模倣(もほう)した飾り鎧が流行した。この鎧は幕末の水戸で製作された腹巻き形式鎧で、兜は水府住義秀(よしひで)作の120間筋兜である。
5、紺糸威二枚胴具足
桶側胴とは2枚の鉄板を脇で引きあわせにしたもの。戦国期より使われ江戸時代に大流行した。鉄砲の伝来以後それまで一騎打ちが中心であった合戦が集団戦法に変わり身軽で丈夫な甲冑〜当世具足〜が開発され、この甲冑は兜は日根野形(ひねのなり) 胴は陶の部分の動きが自由なように胸取がしてある。横矧胴(よこはぎ)とは横長の板を鋲どめにして胴部としたもの
6、紺糸威最上胴
出羽最上地方(山形県)で流行しだした形式で、四カ所を蝶番で止める方法で製作されている。
7、紺糸威仏胴具足
 大多喜城主松平氏所用の復古調甲冑。胴に矧目がみられず仏像の胸に似ているので、この呼び名がある。兜の前立等に家紋「三反り扇」が施されている。
8、茶糸威亀甲金畳具足(提灯兜付)
当世具足の一様式。大多喜(おおたき)藩主松平氏所用の畳具足(たたみぐそく)で、亀甲金を鎖綴りにし、折り畳めるため持ち運びやすくなっています。具足は松平家の武器帳に記載されています。
9、鉄八枚張冑鉢
室町時代に流行した阿古陀形兜(あこだなりかぶと)に近い形式。中期頃より矧板の少ないものが現れ、本資料はその好例である。
10、鉄錆地六十二間小星兜鉢
 相州(そうしゅう/神奈川県)の甲冑鍛冶(かっちゅうかじ)「明珍信家」(みょうちんのぶいえ)が造ったもので、鉢裏に「相州住明珍信家」の刻銘がある。
 

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